千葉の歴史史跡と名所

稲毛浅間神社(いなげあさまじんじゃ)

富士山を神と仰ぐ神社です。
千葉市稲毛区稲毛1-15-10

 

千葉寺(せんようじ)

千葉市では最も古いお寺の一つです。
その始まりは709年に創建されたものです。
創建の翌年に植えられたと言い伝えられているイチョウの木がありますが、幹周りは目検討で8メートルとのことです。
高さは30メートルもある巨木です。現在では千葉寺をシンボライズするほどです。
千葉市中央区千葉寺町161〜167

 

栄福寺(えいふくじ)

このお寺の始まりの千葉家の家臣の一人であった坂尾五郎治という人物が、大治5年(1130)に建てたものです。
その当時は妙見堂と言われていましたが、これが江戸時代のときに現在の栄福寺という名前に変わったそうです。
またココには千葉県の文化財に指定されている「釣灯籠」や「千葉妙見大縁起絵巻」というものがあります。
そして創建当時に植えられた桜もあり、春になると花見を楽しむ人たちが訪れます。
千葉市若葉区大宮町3869

 

駒形観音堂(こまがたかんのんどう)

千葉県内では最も大きい大仏があります。高さは2.36メートル。
その昔、船橋と東金を通っていた街道は時の将軍徳川家康公が鷹狩りをする目的で造られたんだそうです。
そしてその街道を通る人たちの安全を祈願して創られたのが駒形観音堂なのです。
千葉市稲毛区長沼町

 

青木昆陽甘藷試作地(あおきこんようかんしょしさくち)

青木昆陽という人物が甘藷つまりサツマイモを栽培していた地に記念碑が建てられました。
江戸時代に飢饉が起きたときのための作物としてサツマイモの栽培を時の将軍徳川吉宗に奏上して許可されたことが始まりでこの地でサツマイモが栽培されるようになりました。
その後に起こった天明・天保の大飢饉では餓死する人がなかったと言い伝えられています。
そういった青木昆陽の功績h代々伝えられてきたと言うわけです。
千葉市花見川区幕張町4-594-2

 

千葉市立加曽利貝塚博物館

昭和41年11月にオープンしたのです。
展示室においては、加曽利貝塚より採掘された石器や縄文土器であったりが公開され、東京湾のゾーンに生活していた縄文時代の人々の暮らしのようすを、詳しく教えています。
これ以外に、加曽利貝塚には、貝塚の内部を見る野外設備が存在します。
このことは、貝塚を現実的に掘り出して、その上に住居を作り上げたので、地中からほり出された、「たて穴住居あと」やすてられた貝がらが層になったようすを見れます。
さらに貝塚の周りには、クリ、クヌギといった森林や、かつての地形がしっかりと残されていて、縄文時代の「むら」や自然風土の勉強に使われることがよくあります。
これまでに、加曽利貝塚は約13万4500平方メートルが保護され、国の指定史跡と定められています。
千葉市若葉区桜木8丁目33番1号

 

大日寺(だいにちじ)

鎌倉時代の武将千葉頼胤(ちばよりたね)が開設して寺院です。
このお寺は当時は松戸にあったのですが、頼胤の子である胤宗(たねむね)の時代に千葉に移されたとのことです。
残念なことに第二次世界大戦に空襲にあい消失してしまいました。
その後現在の地に新しく建てれています。
千葉市稲毛区轟町2-1-27

 

天福寺(てんぷくじ)

現在に残っている記録から鎌倉時代の始めに千葉時胤より創建されたのではないかと考えられています。
このお寺の十一面観世音菩薩像は、鎌倉時代に作られたものであるとの見解で一致しています。
しかしこの貴重な仏像はいつでも見ることができず、33年に一度だけ一般の参拝者にも公開されるベールに包まれている神秘の仏像です。
千葉市花見川区花島町60

 

重俊院(ちょうしゅんいん)

生実藩(おゆみはん)の藩主であった森川家の菩提寺です。
江戸時代に森川重政が開院しました。
森川家の先祖代々の墓が置かれています。その数は48だそうです。
その中にあっても初代とその正室、重政の3つの墓石は高さが2.8m以上のスケールの大きい物で、それに見合う貫禄を誇っているのです。
千葉市中央区生実町1158